私には、ピアノを始めた時の記憶がありません。
長く音楽の教師をしていた私の母は、私が物心がついた頃には100名近い生徒にピアノを指導していました。
そのせいか、気がついた時には、母の手解きでピアノを弾いていたのです。
当時から、ピアノを弾くということは、極自然に私の生活の一部でした。
小学一年生からは母の手を離れ、私の地元で毎年コンクール入賞者を輩出していた先生に師事し、自然に音楽をより深く学びたいと思うようになりました。
その後、武蔵野音楽大学附属高校、同音楽大学、そして同大学院に進学しました。
現在もピアニストとして、またピアノ講師として様々な音楽を奏でつつ、素晴らしいアーティストや才能溢れる後進の方々とのたくさんの出会いを重ねています。
『呼吸をするように音楽と共に生きる』 そんな生き方をご一緒にしてみませんか。
経歴
茨城県北茨城市に生まれる。
幼少期にピアノの手ほどきを母から受けたのち、小学一年生から中学三年生まで中島達、中島富佐子両氏のもとでピアノの指導を受ける。
武蔵野音楽大学附属高等学校、武蔵野音楽大学にてピアノを専攻し、同大学大学院修士課程を修了。
在学中、昭和59年度福井直秋記念奨学生に選ばれる。
昭和53年(1978年)第32回毎日学生音楽コンクール茨城県大会にて最優秀賞を受賞。
昭和62年(1987年)第13回茨城県新人演奏会にて新人賞受賞。
今現在 (2023年)
ソリスト及び室内楽ピアニスト、共演ピアニストとして、30年以上演奏活動を続けている。
全国各地にてコンサートに多数出演しており、演奏も放送された。
YouTubeチャンネルを持ち、クラシック作品はもちろんの事、ジャンルを超えた作品の演奏もアップし続けている。
後進の指導にも情熱を注いでおり、ピアノの演奏法だけではなく、音楽の基礎力を高めるための楽典やソルフェージュもとり入れながら、一人ひとりの個性に合わせた指導と、音楽と共にある豊かな人生、未来が花開くような指導をモットーにしている。
演奏活動以外にも、Amebaにて定期的にブログを投稿(このサイトに移行後は停止中)。
2019年7月には、公式ジャンル記事ランキングの音楽活動・楽器部門で1位にもなっている。
また「ピアノ教室ガイド」と「ルフスル」にて、ピアノ教室についての運営アドバイザーも務める。
全日本ピアノコンクールの審査員にもなっている。
アンサンブル (室内楽)
私がアンサンブルと初めて出会ったのは、小学校のときに聴いたピアノと木管五重奏の演奏による音楽鑑賞会です。
心躍る演奏に、ドキドキワクワクしたのを覚えています。
その演奏形態がアンサンブルというのを知ったのは、高校入学後。
私はアンサンブルに夢中となり、特に「ピアノと管楽五重奏団織笛」のコンサートは毎回とても楽しみにしていました!
まさか、その後に自分が織笛のメンバーになるなんて思いもよらなかったです。
私がアンサンブルピアニストを志したのは、教えていただいた先生がピアノソロやアンサンブルなど何でもなさっていたことも理由の1つです。
『音楽を共に奏でる』仲間と音楽を奏でることは、私にとって至福の時間です。
ここでは、私が在籍する3つのアンサンブルについて紹介させていただきます。
ピアノと管楽五重奏団織笛
『ピアノと管楽五重奏団織笛』とは、1979年に創設された「ピアノ・フルート・オーボエ・クラリネット・ホルン・ファゴット」による六重奏団。
グループ名の「織笛」は、ギリシャ神話に登場する竪琴の名人であり音楽神の「オルフェウス」にちなんで名付けられた。
また、2つの漢字は「織りなす笛たち」という意味を表す。 メンバーの「磯部周平・大滝雄久・山本安洋・大滝良江」による編曲作品を積極的にプログラムへ取り入れ、原曲が「オーケストラ曲・ヴァイオリン曲・ピアノ曲・ポップス曲」といったものでも、次々とレパートリーに加えている。
また磯部周平による作曲作品も、レパートリーに入れ活動中。
「コンサートを楽しいものに!」という音楽の原点を見つめ続け、前向きのポリシーを大切にしてきた織笛は、日本の室内楽・クラシック音楽界においてパイオニア的な存在となっている。
1994年には、チェコARTA社より輸入盤として『きらきら星変装曲』と『プーランクの3つの六重奏曲』の2枚をリリース。
『プーランクの3つの六重奏曲』は、世界に発信されるCD情報誌『In Tune』に取り上げられ、音楽評論家ヒューエル・タークイ氏より絶賛された。
ゼクステット魅生瑞
『ゼクステット魅生瑞』とは、1987年に「ピアノと管楽五重奏団織笛」の弟妹分として創設された「ピアノ・フルート・オーボエ・クラリネット・ホルン・ファゴット」による六重奏団。
グループ名の「魅生瑞」は、ミュージックの語源であるギリシャ神話に登場する音楽神 「ミューズの女神たち」にちなんで名付けられた。
また、3つの漢字は「瑞々しい魅力が生まれでる」という意味を表す。
各メンバーが編曲を手掛け、プログラムに組み込んでいる。
1990年、日本ディスクよりCDアルバム「ワン」と「魔法の笛」をリリース。
1996年、第11回定期演奏会では、新進気鋭の作曲家「生田美子」に六重奏曲「蒼の願望」を委嘱し、初演を行う。
1997年、劇団「無名塾」のベテラン役者「入鹿尊」との共演で「見果てぬ夢 ■ 役者・入鹿尊リサイタル」を、お茶の水スクエア「ヴォリーズホール」で行う。
4NINGUMI
『4NINGUMI』とは、弦楽器がメインのピアノ三重奏を管楽器で表現したいという大滝雄久の思いから、1994年に結成されたアンサンブル。
当初は「ピアノ・クラリネット・ファゴット」の編成で憧れの三重奏に近づこうとしたが、より自然な音を実現するために「フルート」を加え、四重奏での形を取っている。
ジャンルを超えたレパートリーは、メンバーのファゴット奏者である大滝雄久の編曲によるものが主となっている。
師事歴 (敬略称)
- ピアノ
- 中島達
- 中島富佐子
- 市田儀一郎
- 木嶋瑠美子
- 秦はるひ
- ヘルムート・ブラウス
- ジュラ・キシュ
- リディア・コズベック
- ジュリア・ガネヴァ
- アレクサンダー・セメツキー
- ケマル・ゲキチ
- ピアノ二重奏
- アンリエット・ピュイグ゠ロジェ
- 伴奏法
- デジレ・リゲティ
- ダルトン・ボールドウィン
- 室内楽
- ローランド・スモール
演奏記録 (大学卒業以降)
- 1987年
- 武蔵野音楽大学同窓会茨城支部第15回新人演奏会
- ジュネス・ピアノ・グループ第22回演奏会
- 茨城県新人演奏会
- 1989年
- 茨城のソリストたち第5回 F.リストのピアノ協奏曲第1番のソリストとして出演
- 1989年
- アンリエット・ピュイグ=ロジェ門下ピアノ・デュオ・リサイタル
- 「ピアノと管楽五重奏団織笛」にピアニストとして入団。 以降、数多くのライヴやコンサートへの出演やNHK FMリサイタルなどに出演
- 1991年
- 水戸芸術館主催『茨城の名手、名歌手たち』第2回
- 1992年
- ムジカ・プラッツ演奏会
- 1993年
- ムジカ・プラッツ演奏会
- 水戸芸術館主催『蝶は還らず~喜波貞子の生涯をおって~』
- ソロとデュオによるコンサート
- 1994年
- つくば国際音楽祭フレッシュコンサート
- 「ピアノと管楽五重奏団織笛」CD『きらきら星変装曲』『プーランクの3つの六重奏』(チェコARTA社)に参加。 世界に発信されるCD情報誌『In Tune』に取り上げられ、音楽評論家ヒューエル・タークイ氏よりアンサンブル全体およびピアニストとして絶賛される。
- 「3NINGUMI」創設メンバーとして参加。
- 1995年
- 麗シルフィード(2台6手によるコンサート)
- 1997年
- 第3回コンセール・ダルエット演奏会
- 麗シルフィード~ロシアからの風~(2台6手によるコンサート)
- 「ゼクステット魅生瑞」にピアニストとして入団。 以降、演奏出演のみならず、六重奏曲、ピアノ重奏等の編曲も手がけている。
- 2010年
- 武蔵野音楽大学附属音楽教室第6回講師演奏会
- 2012年
- 「3NINGUMI」にフルートを加えて「4NINGUMI」を始動
- 2018年
- 武蔵野音楽大学附属音楽教室第15回講師演奏会
- 2021年
- 横地ちひろマリンバリサイタルにて、伊福部昭作曲ラウダ・コンチェルタータを共演
- 日本演奏家コンクール入賞者披露演奏会に共演ピアニストとして出演
- 2022年
- 11番目のメリザナ 1st instrumental Album『Zauberflöte』収録『睡蓮』にて、クワイアで参加
指導歴
- 1989年4月~1999年3月
- 武蔵野音楽大学附属入間音楽教室ピアノ科講師として勤務
- 1989年4月~2000年3月
- 茨城音楽専門学校ピアノ科講師として勤務
- 1994年~現在
- 音楽指導プロジェクト「21あぽろん塾」を主宰
- 2000年4月~現在
- 武蔵野音楽大学附属多摩音楽教室ピアノ科講師として勤務
- 2001年4月~現在
- 聖徳大学講師として勤務
- 2004年
- 武蔵野音楽大学主催『社会人のための夏期研修講座』の「ピアノ指導法」の講師
お問い合わせ
大滝良江へのお問い合わせは、以下からご連絡ください。
「ソロ演奏・室内楽・共演ピアニスト」などの演奏に関するご依頼。
ピアニストとして参加する「ピアノと管楽五重奏団織笛・ゼクステット魅生瑞・4NINGUMI」への演奏依頼。
その他、指導についてのお問い合わせなど、どうぞお気軽にお声がけください。